BS日テレ 小さな村の物語 イタリアまとめ 第281回|カラブリア州の日曜日のランチの定番メニューの焼パスタ(Pasta al Forno Calabrese)
6/28放送の小さな村の物語イタリアはカラブリア州のモッタ・サンタ・ルチア(Motta Santa Lucia)です。
この放送は2018年7月14日に放送されたアンコール放送です。元左官職人の男性と元幼稚園教師の女性が紹介されました。
今回は熱心に働き続ける二人の村人の人生と休日の家族の定番メニューなどメモした内容をご紹介します。
休日の家族の定番料理
第281回カラブリア州モッタ・サンタ・ルチアの美味しいレシピはオレンジとりんごのサラダ、トマトとベシャメルソースの焼パスタが登場しました。
似たようなレシピを見つけましたのでご参考にどうぞ。
※別サイトへリンクします。
オレンジとりんごのサラダ
レタス、オレンジ、薄くスライスしたりんごの色鮮やかなサラダです。チキンのようなチーズのようなものがのっていましたが、両方入れて作っても美味しそうですね。
トマトとベシャメルソースのタリアテッレ(Pasta al Forno Calabrese)
タリアテッレはきしめんのような平打ちパスタです。イタリア北部ボローニャの“ラグー・アッラ・ボロネーゼragu alla bolognese”(日本のミートソース)で有名ですね。
小さな村の物語イタリアでは手打ちパスタを作っている場面がよく見られますが、乾燥パスタがアマゾンやカルディで買うことができます。
今回はトマトソースに絡めたタリアテッレをオーブンで焼いた料理を作っていました。焼きパスタはカラブリア地方の伝統的な日曜日のランチメニューで、各家庭それぞれのレシピがあるそうです。
自然と共に生きる定年後の暮らし方
今回紹介された元左官職人のオヴィーディオさんは7年前に引退して年金暮らしをしています。
朝7時から、父から受け継いだ家畜の世話やヤギの乳しぼりをしています。家畜の世話が終わったら次は畑仕事、自分たちの食べる野菜は自分で作っているそうです。
途中で自分たちで作ったサラミ・チーズ・パンを食べ、ワインを飲んでひとやすみします。途中で一息入れるのが長く働くコツで、オヴィーディオさんのお父さんもそうしていたそうです。
腰が悪いので本当はじっとしていたほうがいいオヴィーディオさんですが、フェラーリと名付けた大切なトラクターで山へ行き、たったひとりで木を伐り、木を運び、薪にします。
薪は1年分を1000ユーロほどで買うことができますが、森や畑にいるのは楽しいとオヴィーディオさんは言います。
森で見つけたイチゴをうれしそうに食べ、森の木々や新緑がどれほど神秘なものかを語るオヴィーディオさんの目は輝いていました。忙しい毎日だけど、自然と共に生きることで心は穏やかなのかもしれませんね。
もうひとりの村人リーナさんも朝6時に朝食を食べ、20頭の牛の世話をしていました。20頭すべての牛に名前をつけて、呼びかけながら近くの牧場まで牛たちを連れていきます。
夜眠るときに「今日はうまくできた」と思うと気分がよいと話します。牛たちに何かを与えられたり、牛が自分を必要としてくれることは生きる力につながっているようです。
生きる土台となる親の教え
子供時代は貧しかったけれど食べ物には困らなかった、父は農家の仕事だけでなく自分のアイデアで仕事を作って家族を養ってくれた、「父は働き者で英雄のような存在」とオヴィーディオさんは語ります。
「何かをやり始めて喉につかえるような気がしたら、違う道へ進みなさい。」
オヴィーディオさんは父のこの教えを胸に、誠実に働いて4人の娘を育ててきました。長女と次女は何とか大学に通わせることができたが、三女のときにどうやっても学費を用意することは無理だと頭を抱えたそうです。
無理なら大学へは行かないと泣く娘に、「やってみなければわからないけどやってみようか」と料理上手な妻とリストランテを始めることにしたそうです。
ボートはいつ沈むかわからなかったが前に進み続け、三女と四女も無事に大学に行かせたことはオヴィーディオさんの誇りです。長女と次女は弁護士、三女は外国語教師、四女は神経科医という仕事に就き、自分たちの道を歩き始めています。
リーノさんの家族は代々、水車で粉を挽いて暮らしていたそうですが、60年前に水車は使われなくなりました。シングルマザーだったリーノさんのお母さんは、家畜を育てて農家として子供たちを育ててくれたそうです。
生活は苦しかったが、誰かが助けを必要としていれば、「助けを求めるのはよほどのこと」と手を差しのべる母だったとリーノさんは語ります。お母さんが亡くなってから、リーノさんはひとりで家畜の世話を続けています。
16歳で結婚し3人の子供に恵まれたリーノさんですが、離婚をしてひとりで子供たちを育ててきました。農家だけでは生活をしていくことができなかったため、幼稚園の先生になったそうです。
忙しく働き、子供たちに良い靴を買い与えたり、家も買うことができました。自分がその時いいと思ったことをしてきたつもりだが、子供たちの側にいてあげたり他にもできたことがあったのではないかとずっと思っていると言います。
「しあわせは鶴が飛び立つ瞬間のようなもの。その時はわからないがあとで思い出し、しあわせだったと気づく」と複雑な思いを抱えているようでした。
離れて暮らす娘たちが月に何度か家に帰って来ても、リーノさんは家畜にかかりきりで一緒に昼食を食べないこともあるそうです。
そんなリーノさんに娘たちはもっと心穏やかに暮らしてほしい、子供たちが安心できるように怪我なく元気に暮らす努力をしてほしい、仕事を減らさない母はわがままだと思うと言います。きっとリーノさんのことが心配なのでしょうね。
リーノさんの大切な子供時代の思い出が詰まった水車小屋を博物館にするために、外壁を2年かけて直してくれた娘さんたち。きっとリーノさんのお母さんへの想いも理解してくれているように思います。
詳しい放送内容は番組の公式HPでご確認ください。